【半身】 栃赤城 ニ手目 【業師】
- 1 :待った名無しさん:2007/10/01(月) 12:12:29 0
- 栃赤城について、また語り合いましょう。
- 2 :細川剛腕伝説細川剛腕伝説細川剛腕伝説細川剛腕伝説:2007/10/01(月) 12:15:04 0
- 細川剛腕伝説細川剛腕伝説細川剛腕伝説細川剛腕伝説
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- 3 :待った名無しさん:2007/10/01(月) 12:15:49 0
- 誰?
- 4 :待った名無しさん:2007/10/03(水) 23:19:06 0
- 昭和の関脇
- 5 :待った名無しさん:2007/10/08(月) 09:38:15 0
- また落ちそだな
- 6 :待った名無しさん:2007/10/08(月) 11:01:04 O
- 陥没乳首と網うちととったり
- 7 :待った名無しさん:2007/10/08(月) 11:57:00 0
- 金属バットage
- 8 :待った名無しさん:2007/10/08(月) 12:30:24 O
- 引退しても協会に残らず何年もしないうちに亡くなった、色んな意味で意能の力士だった。
- 9 :待った名無しさん:2007/10/08(月) 23:17:23 0
- 前スレ落ちてたのか…
ここ一年ぐらいものすごい良スレになってたのに
- 10 :待った名無しさん:2007/10/08(月) 23:23:28 0
- >>8
帰化しないまま引退したんだよね
- 11 :待った名無しさん:2007/10/08(月) 23:30:49 0
- 栃赤城は日本人だからw
協会に残らなかったのは当初本人にその気がなかったからなんだよね。
株を買うほど金を残すような性格じゃなかったし。
タニマチとの付き合いが苦手であまり出ない力士だったそうだし。
昔の記事によると、当時の春日野親方(栃錦)は栃赤城に
部屋を継がせる気を持っていた時期があったそうだが…。
- 12 :待った名無しさん:2007/10/08(月) 23:34:40 0
- あの当時の春日野部屋の関取はみんな個性的だったな。
いい意味でも、そうでない意味でも。
栃王山、金城、金谷、平野...
- 13 :待った名無しさん:2007/10/08(月) 23:40:10 0
- 舛田山や栃勇なんてのもいたな
大関以上はいなかったが、春日野部屋が最も輝いていた時代だった気がする
- 14 :待った名無しさん:2007/10/10(水) 18:24:34 O
- 金城=在日。北の湖戦0勝。名大関栃光の四股名を継がせて貰うも、バクチ好きが災いし確変する事は無かった
- 15 :待った名無しさん:2007/10/10(水) 19:11:24 0
- 当時の新聞記事によると栃赤城に
借り株の手配を申し出た人もいたらしいが
結局は本人にその気がなくて年寄にはならなかったとのこと。
- 16 :待った名無しさん:2007/10/10(水) 19:56:29 0
- 良い力士だったのにね。本当にワクワクする様な面白い相撲をとった人だった。
痛快とはこの人の土俵際の技を云うのだとおもいますた。
- 17 :待った名無しさん:2007/10/12(金) 21:07:37 0
- もし大関になっていたら、入間川を襲名していたと思う。
- 18 :待った名無しさん:2007/10/13(土) 17:22:34 0
- 少なくとも55年中盤あたりまでは、千代の富士より強かったからな。
相撲も面白かったけど、喋りとかも他の力士とは違っていた。
力士歌合戦みたいなのにも常連で出ていたけど、
大体の力士が演歌を歌う中、栃赤城だけはポップス系だったしね。
- 19 :待った名無しさん:2007/10/13(土) 18:09:42 0
- 学生時代、柔道をやっていた。
その影響が相撲に出てたような
- 20 :待った名無しさん:2007/10/13(土) 18:11:29 0
- >19
柔道ってサーカスかい?
- 21 :待った名無しさん:2007/10/14(日) 08:00:21 O
- サーカスね、
まぁあれだけのガタイでよくとれたもんだよ。
現役であてはめるとしたら…
いないか
- 22 :待った名無しさん:2007/10/14(日) 14:49:10 0
- >>21
半端相撲という点では
春日王が「栃赤城・金城王朝」の系譜をほのかに受け継いでいる。
しかし、「開祖」たちの相撲の危なさはあんなものじゃなかった。
まさに、本人も相手も大怪我しそうな「自爆テロ」相撲だった。
- 23 :待った名無しさん:2007/10/14(日) 16:17:49 0
- あれだけめちゃくちゃな相撲を取っていながら栃赤城は相手を休場に追い込んだ相撲って
ほとんどないんだよな。晩年の富士櫻を逆とったりで休場→引退に追い込んでしまった一番ぐらいか。
むしろ親方が「あんな相撲を取っていたらいつかケガをする」と言っていた通り、
自分が大ケガをしてしまい全盛期が短かったのが惜しまれる…
- 24 :待った名無しさん:2007/10/14(日) 23:50:06 O
- 前スレみたく
名勝負集復活要望
- 25 :待った名無しさん:2007/10/18(木) 00:05:37 0
- 前スレ落ちてたのか…。
栃赤城と面識ある人が来てたり名勝負集があったり
ここ一年ぐらい名スレになっていただけにつくづく残念だ。
- 26 :待った名無しさん:2007/10/18(木) 19:57:45 0
- 昭和55年初場所は栃赤城の一番強かった時だったと思う。
初日苦手の隆の里との一戦で、突き押しの攻防の末、隆の悪い癖のはたきが
出て残した栃赤がその後突き勝ち、逆に叩き込んだことで以降上昇していった
ことが印象強かった。
- 27 :待った名無しさん:2007/10/19(金) 20:03:55 0
- その場所の千秋楽、増位山戦の栃赤城は本当に強かった。
場所全体の内容も良かったし、敗れたが三重ノ海戦だって悪くなかった。
大関には成るもんだと思ってましたよ。
この直後のトーナメントで優勝したんだっけ?
- 28 :待った名無しさん:2007/10/19(金) 21:51:09 0
- そう。初場所後のトーナメントで優勝。
初戦から高見山→豊山→北の湖→若乃花→三重ノ海と3横綱を倒しての栄冠だった。
本場所の土俵で勝ったことのない北の湖や前回優勝・本場所23連勝中の三重を倒しての優勝だっただけに、
春場所後の大関昇進も濃厚のように書かれていた記事もあったが…
- 29 :待った名無しさん:2007/10/23(火) 01:47:23 0
- 栃赤城名勝負集15
昭和57年初場所初日 東前頭1・栃赤城(押し出し)西横綱大関・北の湖
立ち合い左へ動き気味に立った北の湖はすぐさま左上手を取ることに成功。
引きつけ寄って出たが、栃赤城は得意の右半身の体勢から掬い投げを何度も打ちしのいだ。
そこで北の湖は右下手を狙うのを栃赤城は嫌ったが、
結局右前みつを引きつける事に成功しつり気味に赤房下へ出た。
ところがこれを栃赤城はひたすら右へ回りながら掬い、さらに足を跳ね上げると北の湖の上手が切れた。
そのため横綱は掬い投げに来たが、栃赤城これをこらえ両者体が離れる形となった。
離れると分の悪い北の湖は左四つに組み止め寄ると栃赤城土俵に詰まり万事休したかと思われたが、
上手く右に回り込むとここぞとばかりにのど輪で押し込み1分5秒の熱戦に決着を付けた。
栃赤城はこれで3場所連続の金星獲得。
☆初土俵以来初の休場明け初日の北の湖に持ち味を全面に出した相撲で粘り勝ち。
しかしこの場所最終的に横綱は13勝し優勝したのに対し、栃赤城はわずか2勝。
この場所を最後に幕内上位から遠ざかり、横綱と対戦することすら叶わなかった。
- 30 :待った名無しさん:2007/10/23(火) 01:48:21 0
- >>24
この名勝負集は15番で千秋楽にする予定だったため上の回で終わらせるつもりでした。
まさかこんなタイミングでスレが落ちるとは思わず…痛恨の極みです。
チラシの裏に書けとも言わず読んでいただきありがとうございました。
- 31 :待った名無しさん:2007/10/25(木) 07:47:07 O
- >>30
これからもエピソードや裏話があったらカキコ願います。
- 32 :待った名無しさん:2007/10/30(火) 12:23:16 0
- goo大相撲にある記録トピックスの表ページに栃赤城の名前が…嗚呼
最後に出場した90年1月場所で引退のつもりが届けを出し忘れて、
翌3月場所三段目4枚目に名前が残ってしまったんだよなぁ。
1月で引退していれば最低地位は三段目になっていなかったんだが。
- 33 :待った名無しさん:2007/10/30(火) 18:11:31 0
- >>32
おかげで、あの出羽ヶ嶽に続いて史上二人目の
「三段目にまで陥落した元関脇」となってしまった。
平成元年秋頃にはもう辞めようと決意していたそうだが、
ちょうどその頃、師匠の春日野が倒れてしまって廃業を言い出せなくなったそうだ。
結局、届けを出したのは師匠が亡くなってからだった。
- 34 :待った名無しさん:2007/10/30(火) 18:39:37 O
- 春日野の棺を担ぐ悲しみの表情の栃赤城を覚えている。
- 35 :待った名無しさん:2007/10/31(水) 09:29:23 0
- 蔵前最後の場所(昭和59年秋場所)の十両優勝を印象強く残っている。
この1,2年十両と幕内下位を往復しているような感じで、怪我&糖尿など
が重なり低迷期だっただけにこれをきっかけに再び幕内定着してくれると
期待していた。それだけに1年後、幕下に陥落し、このまま関取に復帰
することなく廃業するとは思わなかった。
- 36 :待った名無しさん:2007/11/11(日) 17:32:08 0
- 59年秋場所は蔵前最後の場所であったのと同時に栃赤城にとって20代最後の場所だったんだよね
それまで十両でもパッとした成績が残せていなかっただけに、
あの優勝で良い30代のスタートを切れるかと思っていたがあれが関取として最後の勝ち越しになるとは…
それにしても蔵前最後の場所で優勝したのが多賀竜というのは有名だけど
その場所で栃赤城が十両優勝していたというのを知ってる人はあまりいないな
- 37 :待った名無しさん:2007/11/18(日) 03:32:11 0
- 栃赤城は新入幕10勝で敢闘賞を獲得したが、そのうち1勝は不戦勝が含まれるという
珍しいケースだった(新入幕の場所で不戦勝をもらえる力士自体がそれほどいない)
新入幕で10勝しても敢闘賞をもらえない力士が出る昨今では、
不戦勝込みだともらえるか微妙なラインになるかも知れんな。
- 38 :待った名無しさん:2007/11/18(日) 07:37:51 O
- タブーだが今の千代大海とぶつけたい。いい相撲になる気がする。
- 39 :待った名無しさん:2007/11/23(金) 00:38:58 0
- タブーの使い方間違ってない?
- 40 :待った名無しさん:2007/11/23(金) 01:52:08 0
- 平成になってから、4場所続けて勝ち越し秋場所には幕下3枚目まで復活した。
そして12日目には大銀杏を結って十両の土俵で琴白山戦に登場した。
あの場所、琴白山は序盤から全く星が挙がっていなかったので
正直勝つチャンスがあると思っていた。結果は残念だったわけだが…。
十両から陥落後、昭和62年後半から幕下上位に定着していたため
何度か十両力士相手に土俵に上がることもあったが全然勝てなかった。
そこが、もどかしかった。
- 41 :待った名無しさん:2007/11/23(金) 09:32:15 0
- >>40
いいところまでいくのに「ここぞ」というときに勝てなかったですね。
十両力士との一番や、これから上がっていくであろう有望力士相手には
苦戦してましたね。
調子を落としてる力士相手にかろうじて星を拾ってる、そんな感じがしました。
栃赤城らしいといえばらしいのかも。
- 42 :待った名無しさん:2007/11/24(土) 23:48:54 0
- そういえば当時大相撲ダイジェストで栃赤城-玉海力戦が採り上げられたとき、
取組直前の力士紹介時にアナウンサーが、
「・・・(どういう風にいったか忘れた)玉海力に、もう一度十両に帰りたいんだという栃赤城」
十両に帰りたいという言葉に泣けてきたなぁ・・・。
玉海力の強引な小手投げに屈した相撲だったと思う。たしかに力負けしていた。
- 43 :待った名無しさん:2007/11/26(月) 22:45:34 0
- >>42
家のどこかにその日のダイジェストのビデオある。。
S63名古屋の出羽の邦戦、勝ってほしかったな。TVの前で祈るように見てたよ。
- 44 :42:2007/11/29(木) 20:51:50 0
- >>43
僕はその相撲見られませんでした。深夜のダイジェストでようやく負けを知りました。
「(やはり)勝てんかったか・・・」と思いました。
最後の幕下3枚目のときは3連敗スタートで重苦しかったです。結局2勝5敗だったけど
「終わりなのかな・・・」と思わざるを得なかったです。
- 45 :待った名無しさん:2007/12/01(土) 23:48:51 0
- 栃赤城の映像って残ってないの?
- 46 :待った名無しさん:2007/12/05(水) 19:19:04 0
- 捕手
- 47 :待った名無しさん:2007/12/07(金) 01:20:20 0
- >>45
市販のビデオやDVD以外で全盛期の映像を見るのはなかなか難しいと思う。
ファンは多かったけど、当時録画する機器を持っていた人が極端に少なかった。
なんせ、大相撲トーナメントで優勝して商品でビデオデッキがもらえる時代だったからね…。
後ろを向きながら勝った貴ノ花戦や、十八番の逆とったりなど
現代のファンに是非見てもらいたい相撲はいっぱいあるのだけど。
- 48 :待った名無しさん:2007/12/07(金) 02:36:42 O
- その後ろを向いて勝った相撲や逆とったりの何番かはDVDで見れますよ。
- 49 :待った名無しさん:2007/12/20(木) 22:49:01 0
- あげ」
- 50 :待った名無しさん:2007/12/20(木) 23:00:53 0
- せっかく映像で見るんならまずDVDに収録されないような内容がベストだよな。
大相撲トーナメントで優勝した回の全勝負とか、
最高の場所の一つである55年初場所の15日間とか。
- 51 :待った名無しさん:2008/01/06(日) 22:34:07 O
- あげ
- 52 :待った名無しさん:2008/01/08(火) 21:30:01 0
- 上がってないw
白鵬などモンゴル力士の一部はとったりの使い方が巧い傾向にあるけど、
彼のような逆とったりの名手は全然出てこないね
そういう意味でもオンリーワンの力士だったのかも
- 53 :待った名無しさん:2008/01/08(火) 21:45:12 0
- >>52
そういえば最近、逆とったりで決まった幕内の取り組みなんてあるんだろうか?
有名な栃赤城−三重ノ海戦以来何十年も見ていないような気がする。
十両では昨年あったけど。
- 54 :待った名無しさん:2008/01/08(火) 22:04:17 0
- ざっと調べてみたところでは、逆とったりは平成6年夏場所10日目の
舞の海(勝ち)−若翔洋戦以来出ていないようだ
ちなみに舞の海はなんと、その前の春場所でも同じ若翔洋相手に逆とったりで勝っている
幕内で6回も逆とったりを決めてるだけにあまり考えてもみなかったが、
栃赤城が最後に決めて以来幕内で15年以上出てなかった外無双同様
まず見られない技の一つなのかも知れない…
- 55 :待った名無しさん:2008/01/15(火) 21:59:50 0
- サーカス相撲の印象が強い栃赤城だが、対玉ノ富士のように終始突き押しで
圧倒した取り組みも忘れられない。昭和54年夏以降、殆んど突き押しで勝っていた
と思う。
- 56 :待った名無しさん:2008/01/15(火) 22:16:21 0
- >>36
↓のページの、題目22と73が、栃赤城の話題
十両優勝のことも書いてあった
ttp://www.offtime-arekore.info/ozumo-ichigyoneta.htm
- 57 :待った名無しさん:2008/01/25(金) 12:26:06 0
- これは凄いな。重箱の隅をつつくような記録ネタをよくここまで集めたもんだと関心する。
しかし少し前の横綱でも名前のない力士がいるのに栃赤城の項目が2つもあるというのは
筆者は栃赤城を応援なり注目なりしていたのかねぇ。
- 58 :待った名無しさん:2008/01/28(月) 17:32:52 0
- 栃赤城の決まり手で多いのは何だったのだろうか?
普通に寄り切りや押し出しが多そうな気もするが、
投げ技を多用していたことや多彩な技を繰り出していたことから
他の力士に比べて比率が低そうで意外な技が上に来そうな感じがする。
最高の内容だった昭和55年初場所を例に取って見ると
11勝のうち一番多いのが寄り倒し3、次に寄り切りが2番で
切り返し・押し出し・下手投げ・小手投げ・叩き込み・押し倒しが各1とやはり多彩だった。
- 59 :待った名無しさん:2008/02/05(火) 13:15:55 0
- 栃赤城・・・同郷だし、大好きだったな。
小学生の頃、相撲に興味を持つきっかけになった力士だった。
スキーに行く途中、生家を覗いたっけ・・・。
- 60 :待った名無しさん:2008/02/05(火) 13:17:48 0
- いや〜ん覗き魔よ!!!
- 61 :待った名無しさん:2008/02/05(火) 15:43:02 0
- >>59
沼田駅前商店街の金谷洋品店だったね。
もうお母さんも高齢だし、店を閉めたんだろうね。
- 62 :待った名無しさん:2008/02/05(火) 17:32:06 0
- 群馬出身は栃赤城まで50年以上ずっと幕内力士が生まれなかったんだよな…
彼以降は一転して琴錦や琴稲妻、湊富士など一気に生まれたのは不思議だった
- 63 :待った名無しさん:2008/02/08(金) 08:37:44 0
- 現在は琴錦も湊富士もみんな引退してしまい、また群馬不毛の時代が来つつあるな
元十両の栃天晃は未だに頑張っているが・・・
- 64 :待った名無しさん:2008/02/11(月) 02:22:24 0
- すげー勢いでスレが下がっていくな。
前の栃赤城スレが落ちたのは事件が発覚した時だったか。
今回はしっかり保守せんとな。
- 65 :待った名無しさん:2008/02/16(土) 12:20:48 0
- 全盛期こそ前に出る相撲が目立っていたが、後ろに下がっての逆転で沸かせることが多い力士だった
10年後に舞の海が立合いから下がる相撲で驚かれたが、
栃赤城がいなかったら舞の海の相撲はもっと強い驚きを感じたように思う。
- 66 :待った名無しさん:2008/02/17(日) 12:01:37 0
- トーナメント優勝の副賞がビデオデッキだった。
当時はこれでも結構貴重な商品だったんだよね。
- 67 :待った名無しさん:2008/02/17(日) 15:31:58 0
- >>62
起利錦も忘れないでやってください。
幕内上位に来ると大負けし、中堅や下位でも一点の勝ち越しか、時には
負け越しし、三役と三賞こそ縁がなかったものの上位に来ると横綱か大関を
破ったり、上昇時代の貴花田に初顔から3回続けて勝ったり、妙に強い
こともあった。
ちなみに、栃赤城は十両に落ちたときに琴稲妻とも対戦あるし、幕下に転落
したときに琴錦や港富士や起利錦とも対戦がある。
- 68 :待った名無しさん:2008/02/18(月) 01:14:32 0
- 起利錦は14日目不戦勝をもらい7勝7敗になりながら
翌千秋楽の朝稽古中に足の小指を骨折し不戦勝の翌日に不戦敗という
珍記録を作ったことでも有名だな
しかし琴錦(琴松沢)や湊富士と対戦があったのは知っていたが起利錦とも対戦していたとは…
栃天晃とは同部屋で対戦がないが群馬出身のほとんどの有力力士と対戦していたんだな
- 69 :待った名無しさん:2008/02/18(月) 06:22:15 O
- 栃赤城…沼田市
琴稲妻…新治村
琴錦…箕郷町
起利錦…桐生市
湊富士…安中市
- 70 :待った名無しさん:2008/02/28(木) 21:09:41 0
- 三段目
東 24 栃天晃
東 36 若堅固
西 52 聡ノ富士
西 55 永井
序二段
東 59 高乃宮
東 83 濱湊
西102 奈良
西104 花岡
西118 魁ノ宮
新番付での地位だが群馬出身もずいぶん減ってしまったなぁ。
というか未だに栃天晃が最上位とは。
- 71 :待った名無しさん:2008/02/29(金) 13:38:37 0
- 【業師】 栃 赤 城 【半身】
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/sumou/1034333727/
- 72 :待った名無しさん:2008/03/09(日) 03:53:10 0
- 栃赤城といえばケガしてから昭和60年まで下の名前を「敬典」にしていたが、
これは何の由来があるんだろう?恩人の名前とかから取ったのだろうか。
結局60年の再十両の際に本名の「雅男」に戻して引退まで取っていたが。
- 73 :待った名無しさん:2008/03/17(月) 17:14:36 0
- 同郷後輩の栃天晃とスレが並んでるage
- 74 :待った名無しさん:2008/03/22(土) 16:25:18 0
- ようつべとか見ても彼の動画は全然ないよな
貴ノ花との逆転相撲や若乃花をとったりで破った一番とか
流れていればかなり面白いのが見られるのに残念だ
- 75 :待った名無しさん:2008/03/27(木) 00:45:43 0
- ◎関取全成績
※52年春まで「金谷」、52年夏〜56年初「栃赤城 雅男」、56年春〜「栃赤城 敬典」
<1>
51年九 西十両10 ●●●○○○●●●○○○○●○ 8−7 新十両
52年初 東十両 6 ○○●●●○●○○●○●●○○ 8−7
52年春 西十両 3 ●○●●●●○○○○○○●○○ 9−6
52年夏 西前頭12 ●○○●○○○●□●○○○○● 10−5 新入幕・敢闘賞
52年名 東前頭 4 ○●●●○●○○●●●●○●● 5−10
52年秋 西前頭 9 ○○●●○○●●●○●●○○○ 8−7
52年九 西前頭 6 ○○●○●○●●○○○●●○○ 9−6
53年初 西前頭 2 ●○○●●●●●○●●●●○● 4−11
53年春 西前頭 8 ○○●●●●○●○○●●○●○ 7−8
53年夏 東前頭11 ●●○●○○●○●○○○○●● 8−7
53年名 東前頭 8 ○○●○○●○●●○○●●○● 8−7
53年秋 東前頭 5 ●●●●○○○●●●○●○○○ 7−8
53年九 西前頭 6 ○○●●○●●●○○●○○●○ 8−7
- 76 :待った名無しさん:2008/03/27(木) 00:46:46 0
- <2>
54年初 西前頭1 ●●○○●●●●○○●○●○● 6−9
54年春 東前頭4 ○○○●●○○○●○●○○○● 10−5 敢闘賞 大関貴ノ花・旭國に○
54年夏 東関脇 ●●●○○●○●●○●○○○● 7−8 大関旭國に○
54年名 西関脇 ○●○●○○○○●○●○○●● 9−6 殊勲賞 大関三重ノ海・旭國・貴ノ花に○
54年秋 東関脇 ●○○●○●●●●○○●●○● 6−9 横綱輪島に○
54年九 西前頭1 ○○●●○●○●●○○○○○○ 10−5 殊勲賞 金星3(若乃花・三重ノ海・輪島)
55年初 西関脇 ○○○○○○○●●○○●●○○ 11−4 殊勲賞 横綱若乃花・大関貴ノ花に○
55年春 東関脇 ○●●●○●○●●○○●○●■ 6−9 (左足関節捻挫)
55年夏 西前頭2 ややややややややややややややや 全 休 (左足関節捻挫)
55年名 西前頭2 ○●●○○○●○○□●●○○○ 10−5 (西張出前頭2)敢闘賞 金星1(若乃花) 大関増位山に○
55年秋 西関脇 ●●●○●■ややややややややや 1−5.9 (右足関節挫傷)
55年九 東前頭8 ややややややややややややややや 全 休 (右足関節挫傷)
56年初 東前頭8 ●●○○○○●○●●●○○○○ 9−6 (東張出前頭8)
56年春 東前頭2 ○●○○○●○○●○○●○○● 10−5 殊勲賞 金星1(北の湖) 大関千代の富士・増位山に○
56年夏 東小結 ●●●●○●●○●○○●●●○ 5−10
56年名 東前頭4 ○●●●●●●●○○●●●○○ 5−10
56年秋 西前頭7 ●○○○○●○○○○●●●●● 8−7 金星1(若乃花)
56年九 西前頭5 ○○○○●●●○○●●○○○● 9−6 敢闘賞 金星1(北の湖) 大関琴風に○
- 77 :待った名無しさん:2008/03/27(木) 00:47:23 0
- <3>
57年初 東前頭 1 ○●●●●●●●○●●●●●● 2−13 金星1(北の湖)
57年春 東前頭 7 ●●●●●○●○○●○●●○○ 6−9
57年夏 西前頭10 ●●○●●○●○○●○●●●○ 6−9
57年名 東前頭15 ○●●●●●○○●●○●○●○ 6−9
57年秋 東十両 3 ●●●●●○○○●○○○○●● 7−8
57年九 東十両 5 ●●○●○●●○○●●●○○○ 7−8
58年初 西十両 6 ○○○○○●●●●○●●●○○ 8−7
58年春 東十両 5 ○○○○●●○○●○○●●●○ 9−6
58年夏 東十両 2 ○●●○○○○●○●●●○○○ 9−6
58年名 東前頭13 ●●●○○●●○○○●●●●○ 6−9 再入幕
58年秋 東十両 4 ○○●○○●●●○●●○○○● 8−7
58年九 東十両 3 ●○○○○●○○○●○○○●● 10−5
59年初 東前頭13 ●○●●●●○●○○○●●●○ 6−9 再入幕
59年春 西十両 1 ●●○○○●●○●●○○●○○ 8−7
59年夏 東十両 1 ●●●○○●□●○●●●●○● 5−10
59年名 東十両 7 ○○○●○○●●○●○●○○● 9−6
59年秋 西十両 3 ○○●○○○○●○○●●○○○ 11−4 十両優勝
59年九 東前頭12 ○●○●●○○●●○●●●●○ 6−9 再入幕
60年初 東十両 2 ●●○○●●○●○●●●●○● 5−10
60年春 西十両 5 ●●●●●○○●○●●●○○○ 6−9
60年夏 東十両11 ●●○○●○●○●●●●○○● 6−9
60年名 西幕下 2 や●●や○や●や○や○○ややや 4−3 (参考)
60年秋 東十両13 ●●●●●●●●●●●●●○● 1−14 再十両
- 78 :待った名無しさん:2008/03/27(木) 00:49:02 0
- 昭和52年 49勝41敗
昭和53年 42勝48敗
昭和54年 48勝42敗
昭和55年 28勝23敗39休
昭和56年 46勝44敗
昭和57年 34勝56敗
昭和58年 50勝40敗
昭和59年 45勝45敗
昭和60年 24勝50敗
幕内通算成績 234勝252敗39休(35場所) .481
十両通算成績 134勝136敗(18場所) .496
殊勲賞4回・敢闘賞4回
十両優勝1回
金星8(輪島2・若乃花2・三重ノ海1・北の湖3)
- 79 :待った名無しさん:2008/03/28(金) 01:04:58 0
- 栃赤城の勝ち寄り切り 55
小手投げ 47
押し出し 38
下手投げ 37
掬い投げ 33
寄り倒し 16
突き落とし 15
腕捻り 13
切り返し 13
突き出し 11
逆とったり 10
叩き込み 10
引き落とし 9
押し倒し 8
とったり 6
送り出し 5
- 80 :その2:2008/03/28(金) 01:05:30 0
- 下手出し投げ 5
裾払い 5
上手投げ 4
掛け投げ 4
渡し込み 4
上手出し投げ 3
不戦 3
網打ち 2
首投げ 2
外掛け 2
ちょん掛け 2
突き倒し 2
足取り 1
浴せ倒し 1
送り倒し 1
肩透かし 1
蹴返し 1
蹴手繰り 1
小股掬い 1
外無双 1
- 81 :待った名無しさん:2008/03/28(金) 01:08:08 0
- 寄り切りが最多なのは当然として、
小手投げが押し出しより多い・・・・。
逆とったり(柔道の脇固め)を10番も決めている。
腕ひねり(柔道の一本背負い)が13番。
やはり柔道家か。
- 82 :待った名無しさん:2008/03/28(金) 01:17:36 0
- >>79-80
GJ!!
これは貴重なデータだね。投げが異様に多いのはさすが
意外だったのは切り返しかな。13番もあるがそんなに足技を使っていた記憶がない
- 83 :待った名無しさん:2008/03/28(金) 02:13:07 0
- 対主要幕内力士対戦成績(栃赤城側から見た勝敗)
輪 島 2−6
北の湖 3−13
若乃花U 4−8
三重ノ海 2−7
千代の富士 8−7
隆の里 7−12
貴ノ花 3−6
旭 國 4−2
琴 風 4−9
朝 潮 3−6
北天佑 2−5
- 84 :待った名無しさん:2008/03/28(金) 14:55:01 0
- >>83
dクス。
金城と違って極端な苦手を作らず、
どの上位力士にもそこそこ通じているね。
同じ半端相撲でもえらい違いだ。
半端であれば上位には通用しないものだが、
彼の場合は十分通用している。
「恐るべき半端」とでも呼ぶべきか。
- 85 :待った名無しさん:2008/03/30(日) 23:52:56 0
- >上手投げ 4
>下手投げ 37
このあたりに栃赤城らしい相撲がかいま見えるな。
上手投げが全然なく下手投げで40勝近くしたとは…
- 86 :待った名無しさん:2008/04/10(木) 23:37:52 0
- 彼にとって「ライバル」はいたのだろうか?
一時期、大関を争っていた琴風がライバルとされていた記事が掲載されていた事もあったが・・・
(琴風とは普段から親交があったらしく当時の雑誌に二人のトークが載ったことも)
細かいことを気にしない性格だけに、ライバルとか全く考えていなかった気もするな
- 87 :待った名無しさん:2008/04/11(金) 01:19:32 0
- >>86
「こいつだけには負けたくない」という真のライバルは
意外と同じ部屋の兄弟弟子である場合が多い。
なぜなら、番付で差をつけられると
部屋での扱いの差となって日常的に思い知らさせることになるため。
栃赤城の場合だと、
取的時代までは入門と年齢が近い栃剣(平野)
関取になってからは1歳年上で同じ半端相撲仲間の栃光(金城)あたりを
ライバル視していたんじゃないかな?
- 88 :待った名無しさん:2008/04/11(金) 17:22:09 0
- なるほど・・・
金城は同部屋で同時期に上位で活躍していたけど、一緒にいる写真とか
仲の良さそうな記述は全然見かけなかったから思うところがあったのかもな
- 89 :待った名無しさん:2008/04/11(金) 18:42:38 0
- >>88
やっぱり栃赤城と金城との間には「近親憎悪」があるんだろうね。
半端相撲
意外な大物食い
最高位関脇
宵越しの銭は持たねぇ(浪費家)
親方との確執
タニマチと一切付き合わず
糖尿病で急降下
結局、年寄株を取得できずに廃業
若死に
…
あんたたち、何から何まで似すぎ!
- 90 :待った名無しさん:2008/04/11(金) 19:06:47 0
- 栃赤城は飄々とした性格だったから、ライバルとか
そういう感じで人を見てなかった感じ。
人は人、自分は自分みたいな。
金城とも特に仲が悪かったことはなかったよ。
金城も飄々タイプだったし。
当時は、琴風と蔵間との3人で「若手三羽ガラス」と
言われてたな。
- 91 :待った名無しさん:2008/04/11(金) 21:31:36 0
- 「若手三羽烏」、懐かしいね
全員大関候補と呼ばれ、20代半ばには関脇を経験しながら
結局大関まで到達できたのは琴風だけだったが・・
この三人の中で一番速く幕内、そして十両から陥落していった栃赤城が
いちばん最後まで現役で残るとはおもわなかった
- 92 :待った名無しさん:2008/04/11(金) 22:05:12 0
- >結局大関まで到達できたのは琴風だけだったが・・
生きてるのも琴風だけですね…
栃赤城は蔵間が亡くなった時にたいそう驚いていましたが、
本人も若くして亡くなり残念な限りです。
- 93 :待った名無しさん:2008/04/12(土) 01:13:23 0
- 栃赤城は日本人だから年寄株を取得する権利はあった。
金城は外人だから年寄株を取得できない。
>>89他は同意。
- 94 :待った名無しさん:2008/04/12(土) 11:55:32 0
- 栃赤城と仲の良かったのは、鳳凰、栃纏、北天佑などが有名だけれど、
蔵間と琴風ともうまが合った。協会に残れたのは、北天佑、琴風、借株ながら
蔵間。ただ、蔵間は白血病で協会に迷惑をかけたくないのと残りの時間を大切
にしたい為タレントに。
健在なのは琴風、鳳凰、栃纏。
- 95 :待った名無しさん:2008/04/12(土) 19:20:32 0
- 舛田山も同部屋、最高位関脇だが、あまり比較されないな。
- 96 :待った名無しさん:2008/04/12(土) 20:04:13 O
- 栃赤城は同じ関脇でも大関の期待がかかった関脇だったね?
- 97 :待った名無しさん:2008/04/12(土) 22:26:11 0
- 舛田山は学生相撲出身だった上、押して叩く相撲という他の春日野勢から見ても異質の存在だったからな
栃赤城・金城はかなり期待されていたが、舛田山は正直大関を狙えそうという雰囲気が全然なかったし
- 98 :待った名無しさん:2008/04/13(日) 18:51:21 0
- 俺の子供の頃の強烈な記憶
舛田山・・・新小結の初日、引退直前の貴ノ花を突き出した。
栃赤城・・・千代の富士の大関初日に土をつけた。
金城・・・・まわしの結び目がフニャっと曲がっていた。
- 99 :待った名無しさん:2008/04/14(月) 17:40:47 0
- 栃赤城と同時期の春日野部屋の幕内力士では、北の湖の作戦参謀と言われた蜂矢もいたな
もっとも彼は幕内よりも十両生活のほうが長かったし、栃赤城とあまり接点はなさそうだけど
- 100 :待った名無しさん:2008/04/14(月) 22:01:35 0
- >>99
共通点は若死にしたというぐらいかな。
考えてみりゃ、
金城・栃赤城・蜂矢と
輪湖世代の春日野部屋関取の若死に率高いな。
- 101 :待った名無しさん:2008/04/15(火) 21:23:46 0
- 栃赤城新入幕場所(昭和52年名古屋)の春日野部屋関取
東小結 金城 西十両7 栃勇
東前頭10 舛田山 東十両8 蜂矢
西前頭12 栃赤城 西十両10 和錦
西十両13 春日洋
最終幕内場所(昭和59年九州)
西前頭5 舛田山 西十両2 栃光(金城)
西前頭6 蜂矢 東十両5 栃司
東前頭7 栃剣 東十両6 栃纏
東前頭12 栃赤城
栃赤城が幕内に在位していたのは途中十両にいた期間も含め7年半ほどだが、
春日野部屋だけでもかなりの変化があるね
しかもほとんどの力士がもう協会に残っていない…
- 102 :待った名無しさん:2008/04/15(火) 21:38:20 0
- 佐渡ヶ嶽部屋の「琴」と違って、「栃」はあまり徹底してないね。
今も春日錦や木村山がいるし。
- 103 :待った名無しさん:2008/04/15(火) 22:48:00 0
- 本名もいたしね。金城や蜂矢など。
- 104 :待った名無しさん:2008/04/16(水) 00:02:44 0
- 栃赤城自身も入幕するまでは本名の金谷だったしな
まあ当時は佐渡ヶ嶽以外徹底して部屋で統一した四股名を
付ける部屋は少なかったというのもあるかな
- 105 :待った名無しさん:2008/04/27(日) 15:03:10 0
- 保守
- 106 :待った名無しさん:2008/04/27(日) 23:15:35 O
- 何ちゅうても、最大の勝負場所は、昭和55年の春。二日目の輪島戦がすべてやと思う。負けた上に怪我をする訳やが、結局6番勝った所を見ると、輪島戦で勝ってれば、怪我を抱えての土俵でも大関は手中にしたと思う。
- 107 :待った名無しさん:2008/04/28(月) 00:18:41 0
- 「相撲」の座談会でも栃ノ海が出ていて指摘していたな。
「足首がこんなに腫れていたんですよ。それが場所が進むごとにだんだん良くなってきて・・・」と。
結果的に最後大怪我につながってしまったが・・・。
あの場所初日の相撲がめちゃめちゃ良かっただけに悔やまれる。
- 108 :待った名無しさん:2008/04/28(月) 06:37:24 0
- >>94
初場所で栃纏見かけたよ。
相変わらずコエー顔してたよw
- 109 :待った名無しさん:2008/05/04(日) 18:32:21 0
- 昭和55年春場所頃、正攻法の取口に脱皮しようとしていただけにとても残念
だと思った。場所前から足首を負傷し、場所2日目の輪島戦、3日の千代の富士
戦でその布石をつくり、14日目の負傷につながった。
- 110 :待った名無しさん:2008/05/12(月) 00:58:17 0
- 栃赤城が優勝した時の大相撲トーナメント、ベスト8を見ても錚々たる顔ぶれが
揃ってるなー。この時期は本当に充実していた。
第4回大相撲トーナメント(昭和55年2月10・11日、準々決勝から)
┌───────────────┐
│ 優勝 栃赤城 │
│ ┏━━━┛───┐ │
│ ┃ ┃ │
│ ┌─┗━┓ ┌─┗━┓ │
│ ┃ ┃ ┃ ┃ │
│┏┛┐ ┌┗┓ ┏┛┐ ┌┗┓│
│┃ │ │ ┃ ┃ │ │ ┃│
├┸┬┴┬┴┬┸┬┸┬┴┬┴┬┸┤
│若│増│北│栃│輪│琴│黒│三│
│乃│位│の│赤│ │ │姫│重│
│花│山│湖│城│島│風│山│海│
└─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┘
- 111 :待った名無しさん:2008/05/17(土) 02:06:38 0
- >>100
蜂矢も亡くなってたのか…
- 112 :待った名無しさん:2008/05/17(土) 04:08:49 0
- 蜂矢は7年前に癌で亡くなった。
その翌年に北の湖が理事長になったが、その時存命だったら我が事のように喜んだだろうね・・・。
- 113 :待った名無しさん:2008/05/21(水) 16:56:55 0
- 十両で霧の若が逆とったりを決めた
最近モンゴル力士以外で逆とったりを決める力士は珍しいな
- 114 :待った名無しさん:2008/05/26(月) 14:31:01 0
- 足腰のばねの強さを売り物にしていたけれど、土俵中央や左四つだと意外に
脆い面もあった。土俵際に詰まってからと後ろ向きになってから本領発揮する
タイプだと思う。
- 115 :待った名無しさん:2008/05/26(月) 21:35:29 0
- 栃赤城とは、懐かしいね〜。もう20年くらい前の力士のトピがあったなんて・・・。
「サーカス相撲」の異名を取っていたよね。
>>69
起利錦は桐生市出身ということになっているけど、実際は東京生まれの東京育ち。
桐生は、親の故郷だとか。
- 116 :待った名無しさん:2008/05/28(水) 00:53:27 0
- 栃赤城…異能相撲、サーカス相撲と言われるような相撲を取りながら
大関目前まで行った珍しい力士だけど、そこまで行った力士が幕下で
4年以上も取り続けていたというのも彼以外ほとんど見かけない。
いろんな意味でオンリーワンの力士だよな。
- 117 :北崎秀 ◆ufnS7fIc7. :2008/05/28(水) 00:58:12 O
- スパッと辞めればよかったのに
- 118 :待った名無しさん:2008/05/29(木) 02:59:01 O
- >>117
お前も人間スパッと辞めればよかったのに
今ならまだ間に合うぞ?
- 119 :待った名無しさん:2008/06/01(日) 03:52:57 0
- ・昭和29年10月31日生まれ。某雑誌に毎場所掲載される略歴付き星取表では幕下陥落後の
昭和62年から生年月日が「昭29.10.13」と誤記され、引退まで修正されなかった。
・3人兄弟の次男。兄と妹がいたが、兄は栃赤城が現役中に病没している。
・高校時代は柔道部で活躍。インターハイ出場経験もある。
・そのため多くの大学からの勧誘もあったが、3年時の夏休みに春日野親方(栃錦)自らが
勧誘に訪れ、悩んだ末勉強が好きでないこともあり角界入りを決意する。
高校卒業を待たずに入門したため、初土俵は春場所ではなく初場所である。
・初土俵を踏んだ昭和48年初場所、この場所から以前行われていた本割形式での
番付外の相撲が復活し、1番相撲で前の場所初土俵を踏んだ好錦(序ノ口東12)と対戦。
残る2戦は番付外力士同士の対戦になったが、変則的な割の中見事に3戦3勝を挙げる。
・十両昇進は51年九州場所、所要24場所での到達。負け越しはわずか4回、しかも一度
2勝5敗があったのを除き他は全て3勝4敗にも関わらずやや時間がかかったのは、
優勝はおろか三段目昇進以降は6勝1敗も幕下で1度経験したのみで大勝ちがなかったため。
・十両は8-7、8-7、9-6と平凡な成績が3場所続いたが番付運に恵まれ、幕内昇進が決定。
特に最後の場所は序盤1勝5敗から盛り返し掴んだ幕内昇進の切符だった。
・52年夏場所新入幕。十両までずっと本名で相撲を取っていたが、地元の山の名前にちなみ
栃赤城という四股名をこの場所から名乗る。
・群馬県出身としては明治45年5月場所の白梅以来、実に65年ぶりの幕内力士誕生だった。
当時の首相は同じく群馬出身の福田赳夫で、新入幕で見事敢闘賞を受賞した夏場所後
首相官邸に招待され激励を受けた。
- 120 :待った名無しさん:2008/06/01(日) 03:54:17 0
- ・53年初場所、横綱・北の湖との初対戦で当たった際首を痛める。この影響からか53年は
春場所から九州場所まで全て8勝7敗か7勝8敗の繰り返しで精彩を欠いていた。
また、57年頃から再びこの挫傷の影響が現れ出し、足首や腰など他の要因も重なり
番付を急降下させることとなってしまう。
・54年九州場所、3横綱から金星を獲得する史上3人目(当時)の快挙を達成。
しかしこの場所は序盤から絶好調だったわけではなく、3個目の金星となった12日目の
輪島戦が終了した段階で7勝5敗と勝ち越しすら決まっていなかった(結局10勝し殊勲賞)。
・55年、夏場所と九州場所の二度公傷休場で全休している。同一年で二度幕内で
公傷休場を記録したのは栃赤城ただ一人であり、公傷制度が撤廃された今二度と
誕生しない記録である。
・55年名古屋場所、公傷休場明けながら横綱・若乃花らを破り10勝、殊勲賞を受賞する。
当時公傷休場明けの場所は同位置に張り出されることとなっており、張出前頭の地位で
三賞を受賞したのは彼一人のみである。ちなみに前頭以下の張出制度は58年頃に
消滅し、現在では受賞者リストを見ても「前2 栃赤城」となっている。
・56年夏場所、小結同士の対戦となった朝汐戦で外無双の大技を決める。内無双に比べて
外無双は出る頻度が少なく、次に幕内でこの決まり手が現れたのは15年半後の平成9年
初場所、旭鷲山が北勝鬨に対して決めた一番であった。
・59年秋場所、11勝4敗の成績で十両優勝。これが初土俵以来初めて、そして唯一の優勝で
あった。この場所は蔵前国技館最後の場所で多賀竜が平幕優勝したので有名であるが、
十両優勝が栃赤城であったことはあまり知られていない。
・平成2年春場所、東三段目4枚目に陥落。元関脇が三段目まで陥落したのは昭和13年の
出羽ヶ嶽以来実に52年ぶりのことであった。ただし、番付が発表される4日前に既に断髪
しており、引退届を出し忘れたために生まれた記録であった。よって三段目での出場はない。
- 121 :待った名無しさん:2008/06/01(日) 03:55:12 0
- ・大関・貴ノ花戦で後ろに回られながらそこから逆転するなど、追い込まれてからの本領を
発揮する相撲で「サーカス相撲」「土俵際の魔術師」の異名を取り、観客を大いに沸かせた。
・しかし、前に出ず右半身になる相撲が多かったことから親方衆からは「半端相撲」と
言われ評判は良くなかった。最盛期に両手突きから前に出る相撲が出ていた時期もあった
が、足首を痛めてからはまた以前のような相撲に戻ってしまった。
・上位陣相手でも目の醒めるような投げ技、多彩な決まり手を幾つも記録し、殊勲賞・敢闘賞は
ともに4回受賞していながら技能賞が一度もない。これは師匠でもある春日野理事長が
「あの(半端)相撲のどこが技能なんだ」と発言したためという記述が当時あった。もっとも
三賞は選考委員が多数決で決定するものであり、この発言の真偽自体も不明ではある。
・師匠は良く栃赤城に対し辛らつなコメントを口にしていたがそれは期待の裏返しであり、
「大関になったら東京中を逆立ちして歩いてやる」というような言葉も大関昇進が現実的に
あり得るという状況だったからこそ口に出たものである。
・それだけに一部では遠回しに栃赤城に跡を継がせるという気すらあった、という記事まで
存在した。本人がタニマチとの付き合いが苦手であり、年寄株のための金を工面する
ことができなかったので立ち消えになったという書かれ方であった。
- 122 :待った名無しさん:2008/06/01(日) 03:55:46 0
- ・千代の富士に対し幕内対戦成績で8勝7敗と勝ち越している。10回以上対戦経験がある
力士の中で勝ち越しているのは北の湖・2代若乃花・隆の里と栃赤城の4人だけである。
・横綱・北の湖は栃赤城が幕内上位に上がった頃5連覇を達成するなど全盛期であり、
また同門で良く稽古をした相手だけに手の内を読まれていたため、上位キラーと
呼ばれるようになってからも「なにをやっても勝てないと思っていた」とこぼすなど
歯が立たず初顔から10連敗と全く勝てなかった。
・しかし衰えを見せ始めた56年春場所で11戦目にして初白星を挙げると、以後は3勝3敗と
互角に戦った。栃赤城自身この時期になると両足首を痛め大関目前まで行った頃の
勢いはなくなっていたのだが、57年初場所では休場明け初日という条件にも恵まれ
優勝した北の湖から金星を獲得した。
・貴闘力は好きな力士として栃赤城の名を挙げており、大嶽親方として向正面の解説に
登場した際にも名前を口にしていた。この両者は61年名古屋場所で一度対戦している
(当時は本名の鎌苅、栃赤城の勝ち)。
・十両から陥落後も4年あまり取り続けていたため、貴ノ浪(当時浪岡)・琴錦(琴松沢)・
湊富士など2000年以降まで現役を続けた力士と幕下で対戦経験がある。彼らは
栃赤城が引退し、さらに亡くなって後も幕内力士として活躍を続けていた。
・他にも幕下時代には後に幕内に昇進した大翔山(当時山崎)・剣晃・旭道山・小城ノ花・
春日富士・琴椿・起利錦・龍興山(宮田)・旭里ら多数の力士と対戦している。
なお、現役で対戦経験のある力士はいない。
- 123 :待った名無しさん:2008/06/02(月) 08:42:53 0
- >>119-122
トッツイー伝、乙です。
- 124 :待った名無しさん:2008/06/04(水) 12:22:31 0
- >>119-122
乙。興味深く読ませてもらった
ただ年公傷2回は千代大海もやってるから栃赤城ただ一人ではないよ
あと55年名古屋は殊勲賞ではなく敢闘賞だな
- 125 :待った名無しさん:2008/06/05(木) 00:52:01 0
- >>124
修正サンクス。これは恥ずかしい間違いをしてしまった。
- 126 :待った名無しさん:2008/06/12(木) 12:27:55 0
- ほかに三重ノ海に2勝だがその2勝がともに全勝を阻止する勝利というのもあるね。
特に54年九州のときはここを勝っていれば三重は年6場所制になって以来
大鵬・千代の富士・貴乃花・朝青龍しか達成していない連続全勝優勝ができたかもしれなかった。
- 127 :やるお ◆0imRA0paHk :2008/06/12(木) 13:00:11 O
- くせ者だよね
- 128 :北崎秀 ◆ufnS7fIc7. :2008/06/12(木) 14:50:42 O
- >>118
どうやってやめるんだw
紀違いは氏ねよw
- 129 :待った名無しさん:2008/06/12(木) 15:28:13 O
- >>128
巣に戻れ スレ汚しが
- 130 :待った名無しさん:2008/07/01(火) 03:50:00 0
- 「相撲」で取組前の支度部屋であんパンを食べていたという記事があったな
いろんな意味で規格外の力士だったよ、彼は…
- 131 :待った名無しさん:2008/07/13(日) 20:51:12 0
- 名古屋場所の綱取り、初日に負けという展開で三重ノ海−栃赤城の相撲を思い出したよ
とったりに逆とったりを打ち返して横転させた相撲は鮮やかだったな
- 132 :待った名無しさん:2008/07/17(木) 02:50:03 0
- >>131
むしろ名古屋といえばちょうど20年前、幕下3枚目3勝3敗で十両での土俵のほうが印象にある。
あれに勝っていれば…。
引退直前にも3枚目まで戻していた時があったが、あの時は1番相撲から3連敗だったから
十両に希望が持てる感じではなかったね。
- 133 :待った名無しさん:2008/07/25(金) 01:23:20 0
- 栃赤城と同じ「金谷」という名前の力士が今場所番付に付いたが6戦全敗・・・
だめぽorz
- 134 :待った名無しさん:2008/07/26(土) 12:35:38 0
- 34 金谷 かなや 愛知県 鳴戸 ●−−●−●−●−●−●●− 0勝7敗
こりゃあ、期待できんねぇ。
5年ぐらい前にいた「栃赤木」も微妙な成績ながら
なんとか三段目には到達したけどこっちは厳しそう。
- 135 :待った名無しさん:2008/07/28(月) 12:56:04 0
- 旭国が引退したころ、次期大関は琴風、黒瀬川、出羽の花と言っていたような気がする。
栃赤城のことは余り評価してなかったと思う。最後の対戦でもろ差しで圧倒しながら
小手投げで逆転負けした時、唖然としていたことが印象強く残っている。
- 136 :待った名無しさん:2008/07/28(月) 14:21:33 O
- 旭国が引退した時、次の大関候補は琴風 黒瀬川 ほうおう
- 137 :待った名無しさん:2008/07/28(月) 22:39:57 0
- 蔵間 巨砲 も大関候補
- 138 :待った名無しさん:2008/07/29(火) 00:41:01 0
- 玉ノ富士が大関候補と言われてた頃も一時あったな
旭国が大関昇進してからあまりにも新大関が出なかったもんだから
ちょっと成績が良かっただけで大関候補に名前が挙がる時期があった
結局かすりもしなかった数名の力士に比べ栃赤城は大関挑戦の場所までこぎつけたが・・・
- 139 :待った名無しさん:2008/08/19(火) 13:00:00 0
- 保守しておきましょう
- 140 :待った名無しさん:2008/09/02(火) 21:46:24 0
- 今場所後は忙しいなぁ
栃赤城は今どんな心境で空から相撲界を見ているやら…
- 141 :待った名無しさん:2008/09/09(火) 11:40:04 0
- 栃赤城も蔵間も現役のころから、相撲界の体質を批判していた
ことを聞いたことがある。世間から隔離され、タニマチにごっちゃんなど。
栃赤城は後援会つきあいが嫌いだったし、蔵間もそれほど好きでもなかった
と思う。
- 142 :待った名無しさん:2008/09/09(火) 12:43:29 0
- >>141
なに言ってんの蔵間は大関諦めてからは大勝ちしないようにして
幕内下位中位にどっかり腰据えて谷町とのつきあいに精だして
ああいう生き方してみたいと人も羨む金満力士だよ
ゼネコン汚職の時はあんまり追及したら角界に金回ってこなくなるから
やめてくれなんて言ってた典型的なごっちゃん体質、ゼネコン関係の谷町は多いからね
栃赤木は私は天皇にも頭下げませんと公言してた
在日だからそりゃそうだろうけど
何も他国の人なんだから黙ってればよさそうだけど
- 143 :待った名無しさん:2008/09/10(水) 00:41:13 0
- 相撲取りはサウナか半身浴だよな
- 144 :待った名無しさん:2008/09/18(木) 01:15:35 0
- 栃赤城ってあの悲劇のランナー・金井豊と同じ沼田高校出身だったのか。
5歳ぐらい離れてるから同時に在校はしていなかっただろうけど・・・
将棋の藤井猛(元竜王)といい、沼田市はあまり大きな街ではないながら
けっこう話題性のある人物を輩出しているんだね。
- 145 :待った名無しさん:2008/09/25(木) 22:36:00 0
- 栃赤城が「すそ払い」を決めた頃、読売大相撲が「すそ還し」が
正しい大相撲の決まり手(〜払いは柔道の技)だと盛んにまくし立てていた。
どちらが正しいかはともかく、懐かしい思い出…。
- 146 :待った名無しさん:2008/09/25(木) 22:43:40 O
- 出羽の花が大関になってたら、角界の歴史もかなり変わってた……
もしかすると、モンゴル勢など、今はいないのかもしれない。
- 147 :待った名無しさん:2008/09/30(火) 02:50:47 0
- >>145
月刊大相撲は長い間、観戦記に独自の決まり手で手さばきを掲載していたよな
あれは疑問に思うところも一部あったが、見ていて面白かった
- 148 :待った名無しさん:2008/10/07(火) 00:34:36 0
- 栃赤城、成績しか追っていなかった学生時代に技の面白さを教えてくれた力士だった。
異能力士はめっきりいなくなったなあ。
- 149 :待った名無しさん:2008/10/28(火) 12:59:19 0
- 保守しておきましょうか
- 150 :待った名無しさん:2008/11/08(土) 17:58:37 0
- age
- 151 :待った名無しさん:2008/11/09(日) 21:37:33 0
- 玉龍が絵に描いたような逆とったりをきめた覚えがある。
- 152 :待った名無しさん:2008/11/13(木) 00:37:58 0
- 俺は中学で友達とよく相撲とったけど、栃赤城の影響をうけて左半身で投げばかりうったよ。
(左利きだから、右半身じゃなくて左半身になる)
左小手投げから掛け投げ連発
左掬い投げ、とみせかけてちょん掛け
左掬い投げ→腕がぬけて逆とったり
立会いいきなり首投げ→こらえられて河津掛け
左から出し投げ→こらえられて裾払い(というか最初から裾払い狙ってる)
とかこんな相撲をとったのでクラッシャーと言われて嫌われた。
でも正硬派の上手をとっての寄り相撲を取るやつとか、ひたすら押してくるやつとかには勝てなかった。
右からの投げは打てないし。
やはり半端はだめということだな。
高校に入ってからは柔道をして大学でも柔道をした。
俺に格闘技の面白さを教えてくれたのは栃赤城だった。ありがとう栃赤城。
- 153 :開元一:2008/11/16(日) 12:20:24 0
- 栃赤城はワシの記憶の中ではいちゃん波乱万丈な力士やな。
関脇時代の栄光と最晩年は幕下生活と。
80年代前半と80年代後半とでは天国と地獄くらいの差があったしなあ。
特に彼が黒の木綿まわしを付け幕下の土俵に上がったときは「栃赤城」の名見て最初は別人かと思ったくらいやったしなあ。
せやけど、本人も最晩年の3年間は腐らずにやったもんや。
スポットライトを浴びた栄光を捨てて、幕下でも腐らずとり続けた彼はホンマにすごいと今でも思う。
来年で13回忌か。合掌。
- 154 :待った名無しさん:2008/11/16(日) 13:00:11 0
- 最初に好きになった力士の一人です
- 155 :待った名無しさん:2008/11/16(日) 13:14:10 O
- 私も一番最初に好きになった力士です。当時はまだ小学生で、色々な多彩な技を見せてくれたし、何よりも彼の笑顔が大好きでした。性格も明るそうだし。今思い出すと彼を嫌いな人は、あまりいなかったんじゃないかな?
- 156 :開元一:2008/11/16(日) 15:13:53 0
- そういえばこの人って沼田高校出身やそうやけど、けっこう頭も良かったんやろね。
群馬は前橋、高崎、桐生、富岡が進学校のBEST4とか聞いたことがあるけど、沼田高校も進学校らしいね。
あの馬鹿高校?の桐生第一が全国制覇したとき(高校野球)群馬県のファイナルが沼田高校やったはずや。
栃赤城の3周忌の年のことやったと思うが。
- 157 :待った名無しさん:2008/11/21(金) 00:03:36 0
- 幕下で隆の山が逆とったりを決めた。
彼のことを思い出した。
- 158 :待った名無しさん:2008/12/01(月) 12:24:09 0
- そんなに昔の力士に思えないんだが全盛期はもう30年前にもなるんだな
20年前まだ現役だったというのには驚きだが
- 159 :待った名無しさん:2008/12/01(月) 12:51:23 0
- 幕下に落ちた後も、長く現役を続けてましたね。
- 160 :待った名無しさん:2008/12/07(日) 09:52:24 0
- 掬い投げ→肩透かし→逆とったり
の連続技は、もっといろんな力士がしても良いと思う。
- 161 :待った名無しさん:2008/12/29(月) 22:51:05 0
- いよいよあと50時間弱で新年が来る。
新関脇、三大関総ナメ、一場所三金星の活躍を見せた79年からちょうど30年か。
当時、彼と好勝負を繰り広げていた力士達が協会でいいポストに付いているのを見ると
嬉しい反面寂しさもあるな。
- 162 :待った名無しさん:2009/01/14(水) 18:47:53 0
- 異能力士age
- 163 :待った名無しさん:2009/01/14(水) 20:46:52 0
- >>35>>36
別スレでも書いたが、あの場所前頭12枚目で優勝した
多賀竜は、11日目関脇大乃国に勝った後、14日目の若
嶋津戦までの2日間は平幕の魁輝・闘竜戦だった。
この2日間のどちらかで当時十両上位で優勝争いしてた
栃赤城にぶつけて欲しかったなぁ・・・
- 164 :待った名無しさん:2009/01/14(水) 21:09:03 O
- 実は私、亡くなられた直後、電話でお悔やみの言葉を言ったらお母様が本当に涙声でしかも、丁寧に応対して下さいました。聞いた話によると、当時こういうお悔やみの電話が引っ切りなしだったとか。やはり彼は誰からも愛される人だったんですね。改めて合掌。
- 165 :待った名無しさん:2009/01/23(金) 21:57:26 0
- モンゴル他各国から様々な力士が入門しているが、
彼のような奇能で大関目前まで行く力士は未だに現われないな…
- 166 :待った名無しさん:2009/01/24(土) 03:12:09 O
- 千代の富士には めっぽう強かったんだよね
- 167 :開元一:2009/01/24(土) 13:04:30 0
- 栃赤城は才能でやるタイプやったね。
柔道で国士舘とか東海へ進学してても相当な選手になったみたいやし。
天才肌のお相撲さんやな。
- 168 :待った名無しさん:2009/01/26(月) 22:32:51 0
- >>166
新大関初日に土を付けたり、掬い投げで千代が頭から
落ちていったり印象的な相撲を取ってるな。
もう一度ビデオで見てみたい取組が何番もある。
- 169 :待った名無しさん:2009/01/27(火) 00:04:43 0
- 30年前が全盛期。
20年前は幕下で現役続行。
しかし10年前には既に故人…。
とはいえ、未だにこのスレが成り立ってること自体、
それだけ栃赤城が我々見る側に強い印象を与えてた力士だったってことを証明してますよね…
- 170 :待った名無しさん:2009/01/28(水) 14:53:38 0
- 上位で活躍していた時期は昭和54〜56年の正味3年ぐらいしかなかったのに、
ここまで強烈な印象を残してる力士っていうのもすごいよな
- 171 :待った名無しさん:2009/01/28(水) 19:25:47 0
- >>120
5つ目の栃赤城vs朝汐も勿論凄かったが、自分はその翌日の
天ノ山戦が戦慄を覚えるくらい印象的だった。
まず栃赤城が「とったり」→それを天ノ山が「逆とったり」
→更に栃赤城はそれに対し「逆逆とったり」(つまり決まり
手上の名称はとったり)で決める。「とったり」という決ま
り手はそれほど珍しくないかも知れないが「逆逆とったり」
という手順を踏んでの一番はこれしか記憶ない。栃赤城は最
後顔から土俵に突っ込んで顔中砂まみれだった・・・
- 172 :待った名無しさん:2009/01/31(土) 03:07:55 0
- 若乃花からとったりで金星を奪った一番もすごかったな
横綱がとったりで横転するのはほとんど見たことがない
- 173 :待った名無しさん:2009/02/01(日) 23:43:16 0
- ここにも栃赤城の記録があった
↓
ttp://www.offtime-arekore.info/namitaitei-ozekisen-hikinboshi.htm
- 174 :待った名無しさん:2009/02/02(月) 09:39:28 0
- そういえば同じ群馬県に栃天晃がまだ現役でしたね。昭和45年から相撲は
春日野部屋を応援している。
- 175 :待った名無しさん:2009/02/08(日) 15:26:55 0
- ただ一人蔵前を知る力士・栃天晃は栃赤城が幕内にいた頃から
ずっと現役を続けてるんだよね
そう考えるととてつもない土俵人生だと感じる
- 176 :待った名無しさん:2009/02/09(月) 01:50:25 0
- 小内刈=ちょん掛け
大内刈=内掛け
大外刈・払い腰・体落とし=二丁投げ
肩車=撞木反り
撞木反りがありえない技のように思われているが、実は柔道ではわりとメジャーだ。
誰か決めて欲しいな。
- 177 :待った名無しさん:2009/02/09(月) 02:43:49 O
- 若手三羽烏て言われてた時期があったような希ガスんだがあと二人の記憶がない
- 178 :待った名無しさん:2009/02/09(月) 17:49:27 O
- 一人は、たぶん錦洋…のちの大峨…正しくは山が我の上に来る…本名川崎。
- 179 :待った名無しさん:2009/02/09(月) 23:39:35 0
- 三羽烏…琴風と蔵間かな?
錦洋(大峩)はちょっと時代が違うな
(ちょうど栃赤城が入幕した場所に引退している)
- 180 :開元一:2009/02/10(火) 19:04:41 0
- 上州の後輩では琴錦も柔道経験者やったね。
ニシキ同様才能でやるタイプやったが、栃赤城は柔道そのものの取り口やったね。
- 181 :開元一様ファン:2009/02/10(火) 19:49:42 O
- この間のトーナメントの日、隣の席のお客様が前橋在住との事で、栃赤城の話しで盛り上がりました。(私もファンだったので)そのお客様は未だに彼の死を悼んでらして、周囲にもそういう方が大勢いらっしゃるとの事です。群馬県民にとって、彼は伝説のヒーローなんですね...
- 182 :待った名無しさん:2009/02/10(火) 21:27:25 0
- 栃剣は親方とケンカ?して対立し部屋をおん出たよな
何があったか知らないが、彼も個性派だった
- 183 :開元一:2009/02/11(水) 12:01:15 0
- もう栃赤城みたいな力士は出てこんでしょう。あの相撲は見てておもろかったけど、怪我と紙一重の綱渡り相撲やからな。
ああいう危険な相撲はまず矯正されるでしょうな。
確かに昔の春日野部屋は個性派多かったのう。
栃赤城に栃光(金城)、栃剣、栃纏、あと秋本www
- 184 :待った名無しさん:2009/02/11(水) 22:25:14 0
- >>183
開元のおっちゃん、まさか栃赤城スレにまで居たとは…(驚)
晩年は幕下でくすぶっていたな
その幕下で当時の若手と対戦していたっけ
調べて見たら、最初の幕下落ち(一場所で十両に復帰)で孝乃富士、
次の幕下落ち(二度と十両に戻れず)で起利錦、鎌かり(貴闘力)、南海龍
、春日富士、旭道山、太刀光、琴椿、琴錦、鬼雷砲、佐賀昇、宮田(龍興山)
、大若松、旭里、玉海力、湊富士、西乃龍(常の花)、小城ノ花、浪岡
(貴ノ浪)、剣晃と後に幕内に上がった力士だけでこんなに!
後に十両に上がったのまで挙げたらきりがないくらい。
- 185 :待った名無しさん:2009/02/12(木) 21:35:29 0
- 小染に似てたよね。
非常に印象に残るお相撲さんでした。
亡くなったとき、会社の上司が新聞読んで、悲しそうに、「栃赤城が死んだんか〜」と
言っているのを見ていて、泣きそうになった。今でも泣きそうになる。
- 186 :待った名無しさん:2009/02/12(木) 21:45:21 O
- 結構、可愛い顔してたな
- 187 :待った名無しさん:2009/02/12(木) 21:55:56 O
- 小染にも似ているけど、栃赤城は春日王にも顔が似ていると最近気が付いた。初めてテレビで栃赤城を見た時「可愛い顔したお相撲さんだなー」というのが当時小学生だった私の印象でした。
- 188 :開元一:2009/02/15(日) 12:32:13 0
- >>184
いやあよう調べはりましたなあ。
現役晩年の栃赤城は黒の木綿まわしで幕下あたりで取ってたけど、下から上がってくる力士の憧れかつ土俵の厳しさを教えてくれる目標の人やったんやろね。
板井ちゃんなんかも幕下のころは大錦や大潮と対戦したときは萎縮したそうやし。
けど、今はこういった存在感ある力士いないねえ。
千代天山も最後は幕下やったけど、あまり存在感なかったし、十文字も栃赤城ほど威圧感は無いで。
>小染に似てたよね
ワシもそう思います。小染も好きやったね。お互い天才肌で若死にと共通点も多いしねえ。
- 189 :待った名無しさん:2009/02/16(月) 21:38:18 0
- >>188
まいど〜
戦後新入幕力士物語って本知ってる?
それで調べたよ
初土俵からの板井の連勝を止めたのは、幕下に転落した大錦やったね
おっちゃんの言う通り、幕下に転落した最近の元幕内力士は関所番って
感じとちゃうね
小染が生きていたら、今頃は染丸を襲名したかも。
- 190 :待った名無しさん:2009/02/19(木) 00:49:54 0
- 俺が一番印象深いのは、北の湖戦で「たすきぞり」をやった相撲
きまらなかったけどね・・・
そりわざって、はじめて見たよ
- 191 :待った名無しさん:2009/02/24(火) 22:47:52 0
- この人が亡くなった平成9年頃、若二瀬・海乃山・天ノ山・青葉山といった
40〜50代の元幕内力士が相次いで亡くなっていた。
その中で、既に協会を離れ5年以上経っていた栃赤城の訃報が相撲雑誌でも
かなり紙面を割いて掲載されていたのに驚いたことがあった。
今年でもう13回忌にもなるんですね…
- 192 :開元一:2009/03/06(金) 23:04:48 0
- 前回の丑年すなわち97年は栃赤城はじめ青葉山とか天ノ山とかが早逝して受難の年やったもんね。
今回の丑年はどうでしょうか?
- 193 :待った名無しさん:2009/03/23(月) 12:20:39 0
- 記録より記憶に残る力士
- 194 :待った名無しさん:2009/03/29(日) 23:14:20 0
- ちょうど30年前、79年春場所
【優勝】北の湖 15戦全勝(16)
【殊勲賞】黒姫山 8勝7敗(4)
【敢闘賞】栃赤城 10勝5敗(2)
【技能賞】該当者なし
北の湖が強すぎて、彼以外ほとんど印象に残らない場所だった。
ここから3年ぐらい栃赤城の全盛期となるんだね。
- 195 :待った名無しさん:2009/03/29(日) 23:17:24 O
- 栃赤城か、懐かしいな。
引退は何年だった?
- 196 :待った名無しさん:2009/03/29(日) 23:24:10 0
- 引退は1990年のこの春場所(番付上載ってたが相撲は取らず)でしたね。
来年で20年…早いもんです。
- 197 :待った名無しさん:2009/03/30(月) 23:53:04 O
- 90年か。意外と昔ですね。まだ最近の感じがする。
- 198 :開元一:2009/04/04(土) 13:48:41 0
- 栃赤城が平成まで現役やったのは意外な感じがしたね。
蔵間や舛田山も平成までやってたけど、こちらは最後までスポットライト浴びてたけど、
栃赤城は寂しすぎる引退(廃業)やったもんな。
春日野部屋の功労者にしては扱いがあまりにもひどいと思うたわ。
- 199 :待った名無しさん:2009/04/06(月) 20:10:48 0
- 栃赤城が引退した90年は、仲の良かった鳳凰、北天佑の引退も印象強く
残っている。3人が時期は違うも同じ年に引退というのも不思議な縁を
感じる。
- 200 :待った名無しさん:2009/04/08(水) 08:01:10 0
- 現在のところ、1場所に3個の金星を獲得したのは
栃赤城が最後のようだが、その昭和54年九州場所
は、若乃花・三重ノ海・輪島の3横綱以外に、隆ノ
里・朝潮・千代の富士というのちの横綱・大関にも
勝っている。今思えば「元5横綱・1大関」に勝った
ことになる(こじつけだが)。
- 201 :待った名無しさん:2009/04/11(土) 19:12:22 0
- 1場所3金星は栃赤城の後昭和58年九州に大ノ国(当時)もやっているな
4横綱のうち3人を破って3金星を獲得した栃赤城の時と違い、
大ノ国は当時の3横綱(隆の里・千代の富士・北の湖)すべてを破って3金星を獲得した
- 202 :待った名無しさん:2009/04/14(火) 07:38:29 O
- >>200
そういう「後の横綱大関」に勝ったケースって調べたらもっとありそう。
昭和62年春場所もあの益荒男旋風の陰で鼻の海が、本来倒した上位以外
に旭富士・霧島に勝ってる。
- 203 :待った名無しさん:2009/05/01(金) 22:15:46 0
- 夏場所の番付が発表された
あの新関脇の場所からちょうど30年だね
- 204 :開元一:2009/05/04(月) 14:13:48 0
- ワシが知りたいなと思うのは、栃赤城が栄光から挫折し、何ゆえ腐らず黒の木綿回しして土俵に上がってたかを知りたいですな。
金城なんかは強かったが素行悪くて廃業やったけど、名跡の取得もままならず、最後は寂しく引退したときの彼の心境はどんなんやったか。
- 205 :待った名無しさん:2009/05/04(月) 15:50:41 0
- 幕下陥落までにひと財産築いたんだと思うよ。
だから案外晩年は、幕下の主の立場を気楽に演じていたのかも。
押し合いのときの鼻の下をのばした表情が忘れられないなぁ。
- 206 :開元一:2009/05/06(水) 11:55:02 0
- >>205
これが本当やったら栃赤城は欲深な人物ではなかったんやろね。
貪欲な精神があれば大関にはなれたと思うし。
ある意味マイペースな人やったみたいやね。
- 207 :待った名無しさん:2009/05/06(水) 13:04:54 O
- 今54年名古屋の「大相撲」総決算号を見ている。
大関候補は栃赤城、蔵間、麒麟児、琴風あたりとされている。まさか増位山が昇進とは誰が思っていただろうか。
- 208 :待った名無しさん:2009/05/11(月) 00:04:28 0
- その少し前には荒勢・玉ノ富士あたりが大関候補だったな
増位山はまさにワンチャンスで掴んだ大関だった
- 209 :待った名無しさん:2009/05/19(火) 00:46:13 0
- 一度ぐらい技能賞を取らせてやりたかったな。
三役に定着して正攻法で横綱を破っていた時期があったが、
増位山が常連になっていて取れなかった。
半端相撲と言われた相撲も、ある意味技能ではないのかと思ったが・・・。
- 210 :待った名無しさん:2009/05/23(土) 18:41:53 0
- 某動画サイトに貴ノ花を裾払いで破った一番がアップされている
貴ノ花戦といえば後ろを向きながら逆転した相撲が話題に出るが
この裾払いの切れ味もすごいな
- 211 :待った名無しさん:2009/05/23(土) 19:35:16 0
- 今の時代だったら栃赤城も技能賞、1度ぐらいは受賞できてるよ。
「決まり手が全部違ったから」と言う理由で旭鷲山が貰えたくらいだから。
- 212 :待った名無しさん:2009/05/26(火) 17:12:39 0
- この人がすごいのは対横綱戦10勝、対大関戦12勝と横綱・大関に対する勝ち星が
ほとんど変わらないところだと思う。
横綱のほうが人数の多い時代ではあったけど、上位で活躍していたのは正味3年
ぐらいしかないのに横綱から10勝も挙げたのはたいしたもの。
- 213 :待った名無しさん:2009/06/04(木) 01:34:06 0
- 今年で13回忌にあたる年なのか…
早いな。早すぎたな
- 214 :待った名無しさん:2009/06/28(日) 21:08:53 0
- 今年で13回忌、早いですね。
けっこう、可愛い顔してましたね。
笑顔も、可愛いと思った。
- 215 :待った名無しさん:2009/07/04(土) 00:23:35 0
- 栃赤城が幕下に陥落した時、幕下で栃赤城と対戦した若い力士は、どんな心境だったのかな?
緊張したかな?対戦した若い力士の中には、栃赤城ファンだった人もいたのでは?
- 216 :待った名無しさん:2009/07/04(土) 17:30:24 0
- 大嶽親方(貴闘力)は栃赤城が憧れの力士で
負けたけど対戦できたのが嬉しかったと引退後言ってたな
なにげに同郷の後輩である琴錦(当時琴松沢)・起利錦・湊富士とも
対戦経験があるんだよね
- 217 :開元一 ◆YXMV6DCMfg :2009/07/04(土) 22:24:34 0
- 野球でいえば、名球界クラスの選手が二軍でプレーするもんやろね。
二軍の若手がファームに落ちた名選手と対戦するようなもんやったやろね。
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